ちどりあしHSP

ステータス低いスライムと化しているHSP気質の日常

書く理由と言えなくもないこと

HSP」とは、ハイリー・センシティブ・パーソン(Highly sensitive person)の略。大きな音、強い光、強いニオイなどの様々な刺激に過剰反応する気質を有する人を表す言葉と、ネットなどを調べると出てきます。

わたしは去年「生きづらい」と検索していて見つけました。どこかおかしいのかもしれない、疲れた、もう何もできない気がする…と、弱音にまみれていたとき該当する項目を読んで泣きました。

これだったんだと、自分を許すための光が見えた気持ちになったのです。

だけど、繊細とは決して自らを装飾する言葉ではないのに、繊細(もしくは敏感)な気質だと口にすることをためらう自分がいます。なんとなく、罪悪感がつきまとう気がして。

敏感だと告げることによって、かまってほしいわけではないのです。むしろ、そっとしておいてほしい。

じゃあブログなんて書かず息を潜めていればいいのでは?とお思いになることでしょう。

なぜ書くのか?

心境を人目にさらすことにより、自分の感覚や気持ちを客観的に見られるようになりたいという願望があるのかな、と。

あとは、自分のつらさをネットで検索したとき、自分だけじゃないんだとほっとした気持ちになった経験から、書こうと思い立ったのかもしれません。

わたしのちょっとしたイガイガする気持ちや、自分がおかしいのでないかという葛藤をあらわにすることにより、自分だけじゃないと同じようにほっとする人がいればいいなと思います。

ニオイも、ささいな音も、あらゆる気配もうるさくて心がざわざわする。

みんなそうだよ我慢してるんだよと言われるから声を出せなくて、適応できない自分がおかしいのではないかと、もんもんとする。弱さは罪悪であるかのような強者の理論に押し負けて、うつむく。

みんなが、そんなことで?と思うような些細なやりとりでも深刻に受け止めてしまうことが苦しくて、だいぶ大人になったのに、まだうまく息できないことが情けなく悲しい。

みんな疲れているから、普通に生活するだけで疲れてつらいと言うことなんて許されない。

あなたよりわたしのほうが疲れているなどと言い合わなくて良い世の中になればいいのに。心から思います。

生きづらいけど、生き続けていくために何かしたい。脆さはわたしの個性だと言えるようになりたい。

手探りで少しずつ書いていこうと思います。